度重なる製作上の延期や、コロナウィルスの影響で緊急事態宣言に伴う公開延期があったものの、ようやく映画公開となりました・・・
「新劇場版」として再構築されたシリーズ1作目の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開されたのが2007年なので、そこから14年も経過しているわけですが、とにかく長かった。というのが率直な感想です。
この記事では序・破・Qのなかで張られた伏線を基に、シンエヴァンゲリオンで回収できたのかどうかについてもまとめていきたいと思います。
この記事では、エヴァンゲリオン新劇場版シリーズや、シンエヴァンゲリオンのネタバレが含まれています。ですので、特にシン・エヴァンゲリオンを観ていない方はご注意ください。
また、著者はマニアではなく、どちらかというと新参者なので厳しい指摘などはご容赦いただけると幸いです・・・
【シン・エヴァンゲリオン】伏線回収まとめ
マリの正体と意外な結末とは?
新劇場版「破」から登場した新キャラクターの真希波・マリ・イラストリアスは、登場したときからエヴァンゲリオンを乗りこなしていました。
マリは見た目が若い割に(シンジやアスカと同年代くらい?!)、以下3つのポイントが気になるところでもあります。
- 時代を感じさせる70年代の懐メロを口ずさんでいた。
- 碇ゲンドウの事を君付けで呼んでいた。
- ネルフやヴィレの諸々の事情を知っている。
これら3つのポイントは、エヴァの呪いが噂されるように、エヴァンゲリオンに乗ることで加齢による劣化が亡くなった可能性は否定できません。
そのことを裏付ける事実として、マリがゲンドウと同級生であることが判明しました。加えて、ラストではシンジと結ばれてハッピーエンド的な締めくくりになるとは予想だにしませんでした・・・
シンジはレイまたはアスカとくっつくと思っていたので。
これは、シンジにとってはレイのもとを辿ると母親がベースになっているので、もしレイの事を好きなままだとしたら、「母親離れできない子供のまま」ということを意味するのかなとか考えてしまいました。
それ以外に考えられるとしたら、マリはゲンドウの暴走を止めようとしていたことも考えられるうえに、「ゲンドウ=子供のまま」なのに対して「シンジ=苦難を乗り越えて大人に成長した」ということを意味しているようにも感じました。
渚カヲルのセリフについて
渚カヲルは新劇場版シリーズにて意味深なセリフを残していました。以下、「序」「破」「Q」にて発していたセリフです。
- 序 「また3番目」
「逢えるときが楽しみ」
- 破 「さあ約束の時だ、碇シンジ君 今度こそ君だけは 幸せにしてみせるよ」
- Q 「ごめん、これは君の望む幸せではなかった」
「縁が君を導くだろう」
「また会えるよ、シンジ君」
ネットでも散々言われていますが、カヲルにはループ説があって、既に何度かシンジと会っていることを意味していたのか?または、クローンが複数いて記憶を共有していたのか?という疑問が生まれていました。
実際には生き返ったりループしていたわけではなく、記憶内の世界(精神世界)のなかで生を繰り返していたものと思われます。
本作の後半部分では、記憶内の世界のなかでエヴァンゲリオンの過去作のタイトルが出ていたり、カヲルが何度も棺のようなものから出てきていたような描写があったので、ループ説はガチだったのではないでしょうか。
それは、エヴァンゲリオンの登場人物にとっては平和ではないので不幸だったのかもしれませんが・・・
【シンエヴァンゲリオン】 渚カヲル司令とは?正体やループ説について考察!
アスカも実はクローンだった!
旧作から新劇場版にて、アスカの名前である「惣流」から「式波」に変更されたのは、性格の違いだけでなく、新エヴァンゲリオンでは「シキナミタイプ」のクローンであることが明かされました。
このことで、新劇場版のアスカは旧作の彼女とは全くの別物であることがわかりました。また、シンエヴァンゲリオンのラストでは、「惣流」のアスカが出ていたんじゃないかという説もあるようですが、あれもクローンという見方が多い感じがしました。
13号機に乗っていたのは、カヲルではなくゲンドウだった!
シンジが乗っているエヴァと対決した13号には、カヲルが乗っているのではないか?と噂されましたが、実際にはゲンドウが操縦していました。
カヲルは記憶の中で登場しているので、実際に復活していたわけではないのですが、ラストの方でレイと会話している場面があったので、復活していたのではないか?という解釈もできそうな気はします・・・
碇ゲンドウの目的が明らかに!
シン・エヴァンゲリオンでは、ゲンドウの幼少期について明かされ、孤独感に悩んでいたもののユイとの出会いで救われていました。しかし、ユイを失ったことで喪失感から「補完させること」を目的に行動していたことがわかりました。
また、補完計画を進める事でユイに会おうとしていたようですが、再会することは無く、シンジとの対話の中で初めて彼の中にユイがいたことに気が付き、これまで無関心だったシンジや臆病な自分を認めたことによって、「補完」が完了したのではないかと思われます。
【シン・エヴァンゲリオン】考察まとめ
ループ説はガチだったのか?!
そもそも、新劇場版シリーズはテレビアニメ版や旧劇場版のループ後の世界や、パラレルワールドの世界なのではないかと言われていました。
また、ずっと暗闇とも言えるエヴァが存在する世界の中で苦悩し続けてきたシンジが、シンエヴァンゲリオンのラストではエヴァの居ない世界にたどり着けたということを踏まえると、本人も気づかないままにループしていたのかなとも考えられますし、
ループから抜け出すには、シンジ自身が前向きに成長していくことが求められていたのではないかと個人的には思います。だから、シンエヴァンゲリオンでは父・ゲンドウとも決別できるようになったし、綾波に拘り続けていた想いも断ち切ることができたのではないかと予想します。
その結果、ある意味同じように歳を重ねる事ができなかったマリを選んで、一歩進んだということを結末では語っていたのではないかと。
また、ループしていたのは作品の中だけではなく、現実世界の私たちに向けても「お前ら、大人になれよ」という庵野監督なりのメッセージも込められていたように思います。
要は、レイは元をたどればシンジの母親のクローンにあたると思われるので、彼女のことを思い続けるほど親離れができていないことも考えられるわけで、そこから離れてマリを選んだというのは、レイを想い続けていたというループからも脱却できた証にもなるだろうし、エヴァンゲリオン=レイという幻想から突き放したかったのではないかと思うわけです・・・
式波アスカとケンスケの関係とは?
シンエヴァンゲリオンの劇中では、恋人らしい描写はなかったように思いますが、すっぽんぽんの状態でも家の中でくつろぐアスカと、何も動じない様子のケンスケの様子を見る限りでは、アスカにとってどこかくつろげる安心感が得られる場所だったように思います。
式波は、惣流と違って排他的というか、人と関わることを極力避けていました。そんな彼女がリラックスできる居場所だったことを踏まえると、自分の気持ちをうまく表現できない彼女にとっては、心許せる相手や場所だったことには違いないでしょうし、ケンスケによってもそんな彼女を受け止められる度量の持ち主であることは間違いないかと。
女性キャラとシンジとの関係
シンジとエヴァンゲリオンの女性キャラについてまとめました。
- 綾波レイ→シンジの母親
- アスカ→シンジの初恋の人
- レイ→大人になったシンジの恋人
シンエヴァンゲリオンの劇中で、シンジが「僕も好きだった」という発言をしていたことで、アスカと実は両想いだったことがわかりましたが、時間の経過とともにシンジも成長したことによって、価値観が変わっていたのではないかと考えられるわけです。
アスカはアスカで外見は14歳でも、精神的には成長していたのに対して、シンジはずっと14歳のままでいたのが、喪失感から立ち直ったことやゲンドウとの戦いなどを経たことで、エヴァの世界からの脱却ができたことで精神的な成長にも繋がったのではないかと。
ミサトとリョウジの間には、子供がいた!
シン・エヴァンゲリオンでは、ミサトに子供がいてしかも名前はリョウジでした。しかし、「破」のなかではヨリを戻しているような描写はなかったようですが・・・
そして息子の名前には「リョウジ」と命名していたのも、亡くなってしまい会えない人の名前を付けたというところに切ない感じがします。加えて、会うつもりがないからこそ、忘れ形見のような感じにしたかったのかなとも考えられます。
シン・エヴァンゲリオンのタイトルに込められた意味を考察
「シン・エヴァンゲリオン」のタイトルに込められた意味の考察については、別の記事にて取り上げています。宜しければご覧ください。
【シンエヴァンゲリオン考察】タイトルの読み方や意味を、シンゴジラや記号から予想!
ラストでシンジとマリが居た駅について
別の記事にて取り上げていきます。しばらくお待ちください。
ラストでシンジの声が神木隆之介に変わったのは?
本作のラストで大人になったと思われるシンジの声が、緒方恵美さんから神木隆之介さんに変わっていました。エヴァの呪いによってずっと14歳だったのが、呪縛から解放されたことで成長することができて、新しいシンジになったことを意味したかったからなのかもしれませんね。
しかし、首に着けていたチョーカーを大人になってまでつけていたのを見て、「外してなかったんかい!」とツッコミを入れたくなりましたが・・・
神木隆之介さんといえば、アニメ「君の名は」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「サマーウォーズ」など、名作での実績があるので適任だったのではないでしょうか?
あとがき
シン・エヴァンゲリオンの公開初日に観に行ったのですが、途中で寝てしまった為に、もういちど観に行きました(苦笑)。いや、一度観ただけではストーリーを理解できなかったように思います。
時間も2時間半ほどの長さでしたし、少なくとも2回以上は観ないと物語を呑み込めないような気がしました。
公開初日から凄いひとだかりでしたし、興行成績も100憶は超えそうなので、どこまで行くのかにも注目したいところです。
エヴァンゲリオンについて、別の記事でも取り上げています。こちらも宜しければご覧ください。