映画「もののけ姫」では、数々の名言・名セリフが誕生して、多くの視聴者の方の心を掴んだものと思います。
この記事では、「もののけ姫」にて誕生した名言集12選をピックアップしてまとめていきます!
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※この情報は、2021年8月13日時点のものです。現在は情報が異なる可能性がありますので、最新の情報はTSUTAYA DISCASウェブサイトにてご確認ください。
【もののけ姫】名言集、名セリフまとめ!
「戦、行き倒れ、病に飢え。人界は恨みを残した亡者でひしめいとる。タタリというなら、この世はタタリそのもの」
不老不死の効果があるとされたシシ神の首を狙うジコ坊がアシタカと出会った時に語り聞かせた言葉で、この世で起こる全ての負を人は恨みを抱く事をタタリと言えると、アシタカよりも長く生き闇世界で生きているジゴ坊の目にして来た年長者らしい実体験が伝わってきます。
「賢しらに僅かな不運を見せびらかすな」
タタラ場にいる人々の前でアシタカは右腕の呪いを見せた安易な行動に対してエボシ御前が言い放った言葉で、エボシ御前自身を含めタタラ場の人々も苦難な人生ながら懸命に前を向き生きており、アシタカの同情心を求めた行動は何もわからない未熟者だと諭し指摘したのでしょう。
「黙れ小僧!お前にサンが救えるか」
犬神のモロの君がアシタカの人間であるサンを解放を一方的に求めてきた時に返し放った言葉で、山を好き勝手に荒らす人間を嫌いつつもモロの君を恐れた人間が生け贄として差し出したサンを我が子のように育てたが、人間か山犬のどちらにも慣れないサンの状況であるのを思いやった語気を強めた口調でしたが、モロの君のサンへの母性愛が溢れています。
「わからぬ。だがともに生きることは出来る」
サンの不遇なる人生を救えるのかと問い質したモロの君へのアシタカの返答で、不確かなモノであるのが未来であるためにアシタカも素直にわからないと言葉を返しつつも、様々な事が起ころうともサンと共に生きていく事だけは確かに出来ると語ったアシタカの真っ直ぐな本質が伝わります。
「木植エタ。木植エ、木植エタ。ミナ人間抜ク、木戻ラナイ。人間◯シタイ」
猿神の猩々がサンに対して山で大切に育てている木々が、強欲な人間の勝手な振る舞いで失われていく事を、短い言葉ですが苛立ち憎しみの溢れ渦巻いていると伝わってきます。
「どうかその人を◯さないでおくれ。その人はわしらを人としてあつかってくださった、たったひとりの人だ」
エボシ御前がタタラ場の別の棟で引き取り看病しながら石火矢の製造を任せている病を患う者が、人として対等にしてくれるエボシ御前の事を慕っている気持ちが溢れた言葉で、森の木々を切り倒し鉄を採取する強欲な印象だけが目立つエボシ御前ながら人を重んじる思考も持ち合わせている事がわかります。
「生きろ。そなたは美しい」
サンが育ての親である山犬のモロの君から教わった山を破壊する人間への恨みから助けてくれたアシタカながらもナイフを突き付けた時に言われた言葉で、恨む対象である人間から掛けられる言葉とは思えない事から、サンが初めて人間に戸惑う心境の反応を見せていて、恨み憎む対象の人間に対しての考え方に変化が生まれたサンの視野が広かった岐路の場面になっています。
「誰にも運命はかえられないが、ただ待つか自らおもむくかは決められる。見なさい。あのシシの身体にくいこんでいたものだよ。骨を砕きはらわたを引き裂き、惨い苦しみをあたえたのだ。」
アシタカがタタリ神によって呪われた事をエミシの村の巫女で纏め役のヒイ様は運命と言いきりどうする事もできないと話し、
タタリ神となったナゴの守りは何者かに石火矢を撃ち込まれ苦しみ恨みだけを持ち続け命が尽きたと体内から出てきた鉄の塊を渡して、
アシタカにはその時を待つのか自ら動くかは決められると悩む若い心に助言を送りつつ、掟通りに村から旅立つようにアシタカを諭し誘導していたと読み取れます。
「天地の間にあるすべてのものを欲するは人の業というものだ」
ジゴ坊の天朝から許可された不老不死の効能があるとされるシシ神の首を獲る強欲な仕事を請け負い、ジゴ坊自身もシシ神の首を獲るために旅の途中で出会ったエボシ御前を利用してシシ神を倒させる算段で欲望を叶えようと画策するなど、この世を生きる人間は自身を神の如く振る舞い、その欲には忠実で限りがなく膨らむばかりと欲深いジゴ坊自身がわかっていて語るからこそ言葉の真実味が伝わってきます。
「いやぁ、参った参った。馬鹿には勝てん」
シシ神の首をなんとしても持ち帰ろうとしたジゴ坊ながら上手くいかず、アシタカとサンにシシ神の首を渡し、2人がデイダラボッチに首を返した事で再び新しい芽が出てきた光景を目にして思わず語った言葉で、欲にまみれた世界で生きるジゴ坊自身とは対極にある世間をまだよく知らない若者のアシタカたちの純粋無垢さで事態を好転させた行動をバカと表現しつつも敵わないと笑って見せてた彼の人柄が出ています。
「ここをいい村にしよう」
もののけを邪魔と考えるエボシ御前はジゴ坊からのシシ神殺しに賛同して石火矢を使用してシシ神を仕留める事に成功したものの、デイダラボッチが暴走を始め、更にエボシ御前が以前に石火矢を撃ち込んだモロの君が首だけとなったものの最後の力で動き、
エボシ御前の右腕を食らいちぎり瀕死な状況となったがアシタカたちにタタラ場に運ばれて命を取り留め心配する人々に対して語った言葉で、エボシ御前のシシ神の首を狙い仕留めた行動の結果、
デイダラボッチの暴走でタタラ場にも甚大な被害を招いた事を見つめ直したように表情も以前の強張った所から穏やかに変わり、いい村にするのはエボシ御前自身がするではなく、皆でしようと語っていて新たな心になっているとわかります。
「生きる事はまことに苦しく辛い。世を呪い人を呪い、それでも生きたい。どうか愚かなわしに免じて…」
アシタカはエボシ御前の石火矢のために必要不可欠な鉄を採取しようと森の木々を次々と切り倒す事と、助けた女性たちも石火矢を使い戦えるようにと改善をしていると豪語する言葉に不快感を表し反対する言葉に、
病を患う者たちの長がアシタカに語り掛けた言葉で、誰も見向きもせず人とも思わないでいた病となった自身たちを親身に看病してくれる優しさがあり、
治療のために必要な資金を稼ぐために動いてくれるエボシ御前の事も知ってくれと頼んでいる気持ちが溢れ、人にはそれぞれ様々な面を持ち合わせていると示されたセリフとなっています。
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