パラサイト半地下の家族の伏線回収!絵や石の意味などをまとめて解説!

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2020年にアカデミー賞を受賞した韓国映画「パラサイト 半地下の家族」は、様々な伏線が敷かれていて物議を醸した作品でもあります。

また、それらの伏線では、監督のポン・ジュノ氏のメッセージも込められていながらも、作品中で伏線回収をしています。

この記事では、映画「パラサイト 半地下の家族」の伏線回収をまとめていきます。

 

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【パラサイト半地下の家族】伏線回収まとめ!

 

映画「パラサイト半地下の家族」は、貧困家族のキム一家が貧しい生活を抜け出すために、資産家のパク家にキム家ノ長男のギウが、パク家のダヘの家庭教師として入り込むところから、まるで寄生虫のようにパク家が雇っている家政婦や運転手などの仕事を奪っていくという物語です。

その過程の中で、様々な伏線が敷かれていて、劇中の中で目撃される物などが作者の伝えたかった内容を表しているのではないかとも考えられます。

以下、映画「パラサイト半地下の家族」の伏線となります。

 

 

①水石はギウの事なのか?

 

キム家の長男であるギウに、パク家に入り込むきっかけを与えてくれたのは友人のミニョクでした。そして、ミニョクはギウに対して「水石」という幸運を呼ぶといわれる石をプレゼントしていました。

以降、ギウは「水石」をとても大切にしていたわけですが、映画の中盤までは、ギウは家庭教師の仕事も順調だったり、教え子のダヘと交際するなどといった感じで、「水石」のご利益があったと思えるような描写がありました。

「パラサイト半地下の家族」では、ミニョクがギウに対して「水石」をプレゼントしたことからスタートしています。

そして、ギウは大学生となって、安定した職に就いて貧しい暮らしから抜け出すことでした。そして、その第一歩がパク家に家庭教師として入り込むことだったわけです。

このことから、「水石」は、ミニョクの分身のような立場であり、ギウの願望を具現化させるアイテムであるとも捕らえられます。

その一方で、ギウには「水石」のご利益があったかのようにも思えますが、ポンジュノ監督は、「水石」のことだと思わせるような、以下のような発言をしています。

AはBだと特定できなく、色々な側面から見ることができる。奇妙な小道具を書いた。

 

ギウが求めていたことは、この石をプレゼントしてくれたミニョクのような人生を歩む事でした。ここまでの流れであれば、前向きなものだと考えられますが、幸福を呼ぶものとは対照的な、悲劇をもたらすものであるとも考えられるわけです・・・

まず、ギウは受験に失敗している浪人生という立場でしたが、妹のギジョンが偽造した大学の在学証明書を作成したことでパク家の家庭教師として就業することができます。

しかし、ギウとギジョンの行為に対して、ナレーションは「れっきとした犯罪」と語っています。

また、大雨が降ってからは、これまで順調だったギウの生活は一変していきます。そのときに、自宅が水没してしまった中で持ち出していたのは「水石」でした。

そして、そのときにギウは父親のギテクに対して「全て自分が責任を取る」とも語り、謝罪をしています。この謝罪は、ギウ自身がもたらしたものであるということで、責任を感じてもいたわけです。

「水石」は、ここでもギウの心情を反映させたのか、物語の終盤では元の生活に逆戻りしてしまいます。

終盤のパク家のパーティの日に、地下室で暮らしている住人をなんとかしようと地下に下りて行った際に、持っていた水石を落としてしまっただけでなく、その石で頭を殴られてしまうという悲劇に見舞われてしまいました・・・

ギウは自分の人生を変えるものとして、水石のことをお守りのように大切にしていましたが、富裕層とのかかわりを持つことで生活が一変したようにも感じられた一方で、元の貧しい生活に逆戻りしたことからも、

ポンジュノ監督が語ったように二面性があるということで、水石は「富裕層」と「貧困層」のふたつを描いたのではないかと考えられるわけです。

 

 

 

②台湾カステラは「パラサイト」の失敗を予期する要因なのか?

 

ムングァンの夫は、元「台湾カステラ店のオーナー」という肩書を持っていました。台湾カステラは、2016年から2017年頃に流行したスイーツで、当時韓国ではSNSなどの口コミ効果もあって、爆発的な人気を誇りました。

ところが、台湾カステラの原材料に、賞味期限切れの生クリームを使っていることが、テレビ局の取材によって明らかになってからは、急激にブームが去っていきました・・・

そんな経緯も直接的に関係していたかどうかはわかりませんが、当時台湾カステラ店のオーナーだったムングァンの夫は事業に失敗してしまいました。そして、借金取りから逃げるためにパク家の中にある地下室での生活を余儀なくされて、パラサイトすることとなりました・・・

しかし、ムングアンの夫は事業に失敗したとはいえ、ブームにパラサイト(寄生)したことが原因だとも考えられるので、「台湾カステラ」はパラサイトすることが成功に繋がらないことを物語っているのかなと考えられます。

 

 

 

③カメラワークによる描写

 

「パラサイト半地下の家族」では、カメラワークによってうまく線引きが出来ているようにも感じられます。

例えば、パク家の2階に上がる場面では、ヨンギョが左側にいる事に対して、ギウは右側に居ます。このことは、左側が「富裕層」のことを、右側が「貧困層」のことを指しているようにも感じられます。また、ギウの右側の部屋には家政婦のムングァンもいました。

言葉で語られていたわけではないものの、しれっとカメラワークで格差社会を線引きしていたことが考えられるので、もしかするとポンジュノ監督が意図していたのかもしれませんね。

 

また、別のシーンでは、ギテクが自宅(半地下)の窓から外を眺めているシーンがあります。ここでも境界線が描かれていると考えられる描写があります。

つまり、「外が見える半地下の家」と「全く外が見えない地下の家」という境界線です。キム家のように、外が見える世界に住んでいる者と、パク家の地下に暮らすムングァンの夫のように日の光を浴びる事のない者を指しているのかなと。

また、キム家はパク家にパラサイト(寄生)することで生活が一変しますが。ムングアンの夫のように、生活が一変してしまう可能性もあり、不安定な状態にあることを描いているとも考えられます。

実際に映画のラストでは、ギテクがムングアンの夫に代わってパク家の地下で暮らしようになりましたし。

 

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④匂いで線引き

 

パク家の大黒柱で、IT実業家のドンイクは、匂いに関する発言をしています。

ギテクのことを

「一線は超えない。超えているのは匂いだけだ。」

と語っています。このことは、匂いは「富裕層」と「貧困層」を分けている線であることが考えられます。

そして、ラストの方でもドンイクが匂いに関する発言をしたことで、他人事と思えなかったギテクがブチぎれてしまい、悲劇を呼んでしまったわけですが、個人的には「匂い」に関する発言が差別を誘発してしまったとも考えられるわけです。

 

 

 

 

⑤ソファが示す家族の違い

 

「パラサイト半地下の家族」では、ソファに座る場面で、家族の生活感を垣間見る事ができます。キム家、ムングァン家、パク家のそれぞれの家族の様子を比較しながら見て行きましょう。

キム家の場合

 

パク家の家族がキャンプで外出して不在のときに、キム家の面々はまるで自分の家にいるかのようにくつろいで、食べ物やお酒などを食い散らかしたりとやりたい放題のなかで、お互いの今後について語らう様子も見られました。

例えばギウは、「大学に行き、ダヘと結婚する」と語り、ギテクとチュンスクは「今は我々の家だ」と言う具合で、まるで自分たちが富裕層になったと錯覚するような様子を描いていました。

 

 

ムングァン夫妻の場合

 

キム家の策略によって、家政婦を辞めさせられてしまったムングァンが、地下に住む夫の面倒を見るためにパク家にやってきたわけですが、この時にキム家の面々が、家族でパラサイト(寄生)していることがバレてしまいます・・・

そして、その証拠を押さえたことでキム家を脅して形勢逆転し、ソファに座ってくつろぎながら過去の事を語りだすというシーンがありました。

このときも、ムングァン夫妻はリラックスした様子で本音を語り合っていた様子でした。

 

 

 

パク家の場合

 

息子のダソンの誕生日のために、家族でキャンプに向かったものの、大雨が降ったために自宅に戻ってきたあと、庭にテントをしいたダソンはテント内で眠ることに、ドンイクとヨンギョ夫妻はソファーでくつろいでいました。

また、そのときにキム一家は近くに隠れていたことを知らずに、ドンイクは

「ギウのあの臭いはラインを超えている。」

と語っています。そして、その匂いが不快で嫌だという様子も見られました。そして、

腐った切り干し大根のような・・

と悪気なく語ってもいました。

 

 

ということで、3つの家族がソファにて語っていた様子に共通しているのは、「リラックスした状態で本音を語る場所」だったのではないかと言えます。

 

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⑥ギジョンのタバコを吸う姿

 

 

パラサイトの中の見どころの一つとして、キム家の長女・ギジョンのタバコを吸う姿がありました。また、ギジョンはキム家の中でも最もクールで冷静に状況判断ができる上に、美大に行ける能力はあるにも関わらず、経済的な事情から進学することができずにモヤモヤとしているところが気の毒でした。

正直なところ、パク家にパラサイトしたキム家の人物の中で最も違和感が無くて馴染んでいたのもギジョンでした。だからとても気の毒だし、最も視聴者に感情移入された登場人物ではないかと思っています。

それは、ギジョンに関するツイートの内容が物語っているとも言えそうです。

 

 

 

よって、これらのことからもギジョンは実力がありながらも、経済的な事情で何もできない歯がゆさをタバコを吸う事で表現していたのではないかと感じられるわけです。

また、タバコはストレス発散の効力がある一方で、歯がヤニだらけになったり、癌の原因になったりと身体を蝕んでいくものの要因ともなりえるため、ギジョンの人生を表現していたとも考えられるかなと。

また、大雨で家が沈没したときには、持ち出すほどのものはなく、せいぜいタバコくらいでした。タバコは吸うと消えてなくなります。消えてなくなるといった描写が、ラストでのギジョンの最期を物語っているようで意味深にも感じられるかなと・・・

 

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ダソンが遺した伏線とは?

 

 

パク家の長男として登場したダソン。彼は、幼いながらに見なくてもいいものを見てしまったという、トラウマになるような恐怖を実感したことを考えると、気の毒な少年のようにも思えてきます。

そんなダソンもまた、「パラサイト半地下の家族」における意味深な伏線を残していたようにも感じられます。

 

 

ダソンの絵画の意味

 

映画 パラサイト 半地下の家族

 

パク家の長男・ダソンが描いた絵について、母親のヨンギョ曰く「息子の自画像」とのことでしたが、よくよく見ると、矢印のようなものが描かれています。

加えて、自画像にしてはどこか化け物のような雰囲気が伝わってきます。

ちなみに、ダソン曰く「幽霊を見た」とのことで、その幽霊とは、地下に住むムングァンの夫の事を指していたのです。

であれば、絵の中にある矢印についても説明ができますし、額の方を良く見ると、血を流しているようにも見えます。そして、矢印は地下から地上に上がってきたことを意味しているようにも感じられるわけです。

また、パク家のなかでは唯一地下住人の存在を知っていた人物であることを証明していたのではないでしょうか?

 

 

 

ダソンが無線機を買ってもらった理由がヤバい?!

 

ダソンは誕生日に無線機を買ってもらい、喜んでいましたが、それはなぜだったのか?彼は、パク家の中でも第六感が敏感なところがあり、キム家の独特な匂いや、地下に住む人物の存在について、いち早く気が付いたところがあります。

そのため、自分の家に得体のしれない何者かがパラサイト(寄生)していることを察知し、それが「絵」として表現されたり、彼が好きなインディアンの服装も「征服」を示すものでもあったため、
危険を察知していたことを示すようにも思えます。

故に、無線機は自分が連絡を取りたい人とだけ関わることができるツールだと認識していたことと、自分の家族以外の人間の事を良く知らないダソンにとっては、安心を得られるお守りのようなものとも解釈できます。

 

 

 

ダソンの感覚の鋭さ

 

上でも取り上げたように、ダソンはいち早くムングァンの夫である、地下の住人の存在を知ることができ、キム家の存在の事にも気が付きました・・・

また、ギウが家庭教師としてパク家にやってきた時にも、独特な匂いに気が付いたのか、警戒心からギウにインディアンの服装をして矢を放とうとしていました。

また、庭にテントを建てて寝たのは、「絵」にも描いた幽霊かもしれない存在を察知したため、逃げる事を意味していたのかなと考えられます。

父親のドンイクが人当たりがいいように見える一方で、どこか距離を感じるところもあるので、息子であるダソンも影響された可能性はありそうです。

このような観点からも、韓国社会の人間関係を描写しているとも考えられます・・・

 

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さいごに

 

 

 

監督のポンジュノ氏は、いろんな場面で伏線を敷いて、様々な角度から格差社会を物語るように仕向けているのかなと感じさせられました。

その一方で、監督は以下のようにも語っています。

お金持ちは、貧しい人たちの労働に“寄生”している――そういう意味合いもあると伝えたら、(マーケティングの担当も)安心していました。そして、私は考えたんです。(本当は)“寄生”ではなく“共生”になってくれればいいと。

 

ですから、韓国の格差社会を訴えたかったのではなく、貧困層が富裕層に寄生するだけでなく、富裕層も貧困層の支えがあるから発展できるということで、どちらも支え合っているという意味では二面性があるようにも思えます。

別に日本映画が世界的に評価されないわけでもないと思いますが、パラサイトに限ったことではなく、韓国映画は良くも悪くも描写がストレートと言うか、過激なところがあるので、どこかソフトさを感じさせる日本の作品とは大きく隔たりを感じるような気がします。

そういう意味では、日本特有の「奥ゆかしさ」よりも現実を描くことのほうが、西洋の人にも受け入れられる秘訣のようにも思うわけです・・・

 

 

 

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