【時をかける少女】アニメ映画考察まとめ

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この記事では、アニメ映画「時をかける少女」の考察をまとめていきます。

 

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(考察1 )未来で2人は再会できるのか?

 

ある日突然、時間を跳躍出来るタイムリープの能力を身につけた本作主人公の紺野真琴。未来からタイムリープでやって来た、真琴の男友達である間宮千昭。千昭が未来へ帰る事となり、離れ離れとなってしまった2人だが、別れ際に2人は、こんな会話をしている。

千昭が「未来で待ってる」と伝えると、真琴は「すぐ行く、走っていく」と答えている。この2人の会話を聞くと、真琴が千昭に会いに未来に行くかのように感じられる。

しかし、タイムリープの能力が使えなくなってしまった真琴が、未来に行く事は不可能であり、再会するには千昭が真琴がいる世界へ戻って来るしかない。では何故、千昭があんな言葉を残したのか。それは2人が交わした約束に関係しているように感じる。

そもそも千昭が過去へタイムリープして来たのは、この時代の、この季節の、この場所にしか所在が確認されていない白梅二椿菊図を見る為であった。その絵は、美術館で絵画の修復を行なっている、真琴の叔母である芳山和子が、修復中の作品であった。

真琴は、千昭に絵が未来でも必ず見られるようにすると約束をしており、その言葉に対して千昭は、未来で待っているという言葉を残したのではないだろうか。その言葉の中には、未来で絵を見る事で真琴の存在を感じるという、意味が含まれていたのではないだろうか。

 

 

(考察2) 魔女おばさんの正体は?原作とのつながりも

魔女おばさんとは、本作の主人公である紺野真琴の叔母の芳山和子の事で、東京国立博物館で絵画の修復の仕事を行なっている。

30代後半の独身で、浮世離れした雰囲気から、真琴に魔女おばさんと呼ばれている。今作品は、原作を映画化した訳では無く、同じ世界を舞台に原作の出来事から約20年後の世界が描かれており、原作の主人公であった和子の姪の真琴が主人公となっている。

その為か作品の中で、和子が自身の若い頃と真琴を照らし合わせるシーンや、美術館内の自室に現代の真琴達と良く似た関係思わせる、親しい男子の友人2人と一緒に撮影した高校生時代の写真が飾られている。

 

 

(考察3 )込められたメッセージと3つの伏線を読み解く

 

①真琴の性格

主人公の紺野真琴は、栗色のショートヘアで、明るくて元気な姿が印象的である。これは原作の主人公とは大きく異なる部分であるが、今風の主人公を出し、原作の面白さを伝えるという細田守監督の狙いがある。

時をかける少女には、SF、恋愛、青春という要素が含まれており、原作ではSF、大林版では恋愛を主体としている為、映画では青春を描かれている。

そのテーマに沿うといった意味では、今作品の真琴はイメージにぴったりだと言えるのではないだろうか。時代の流れに合わせて細部を変えていく事で、どんなメッセージを伝えたいのか、よりわかりやすくしているように感じられる。

 

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②黒板の落書き”Time waits for no one”

 

Time waits for no one時は誰も待たないという意味があり、Time and tide wait for no manとも言い、時間の流れは例え望んでも絶対に止まらず、今という時を大切にしようと意味がある。まさに今作品のテーマに沿ったメッセージと言えるのではないだろうか。

過去に戻ってやり直せたら、そんな夢のような出来事が現実となった今作品の主人公である紺野真琴。しかし、何度も時間を行き来しても時間の流れを止める事は出来ず、大切な人との別れの時が訪れてしまう。

過去をやり直すのでは無く、今目の前にある瞬間をどう過ごすか。そういったメッセージを伝える為、この言葉が作品の中に出て来たのではないだろうか。

 

 

③白梅二椿菊図

 

白梅二椿菊図とは、間宮千昭が、この世界へタイムリープするきっかけとなった絵画である。この作品は、東京国立博物館で芳山和子が修復中の物であり、千昭は目にする事無く、未来へと帰って行ってしまう。

白梅二椿菊図とは架空の作品であり、それ以外の物については実在する作品が登場している。何故、作品の中で鍵を握る白梅二椿菊図が架空の物であったのか。

当初、細田監督は絵を見るという事だけを決めており、実在する絵にイメージに合う物が見つからなかった為、演出家であるマッドハウスの平田敏夫さんにお願いをして描いてもらっていた。

平田さんの絵は、色んな物を含んでいて暖かさがある為、描かれた経緯が分からなくても何かが伝わってくるものがあるという、作中の絵画のイメージとピッタリであったのだ。この絵の女性の顔らしきものの下に、4つの物が浮いている。

これは宇宙を現しており、その周りを龍のようなものが渦巻き状に取り囲み、その周囲には花があり、それがある種の吉祥性を表している。

作中で白梅二椿菊図は、作者は不明で、美術的な価値があるかどうかもわからず、何百年も前の歴史的な大戦争と飢餓の時代、世界が終わろとした時に描かれていると和子は、真琴に説明をしている。真琴が千昭に絵と未来世界の関係について尋ねた際、千昭は何も答えずにいる。

千昭が答える事が出来なかったのは、未来の世界を過去の人に伝えるのは、タブーとされていたからなのかもしれない。千昭が暮らす世界や年代、素性については明確にされておらず、この絵が千昭が暮らす世界を現しているとしたら納得がいく。

千昭は、真琴に現代と未来世界の違いとして、「川が地面を流れていること」「空の広さ」「人の多さ」「野球や自転車の存在」を挙げている。

千昭は、真琴や津田功介と一緒にいる事があまりに楽しかった為、この世界に長く留まる事となったが、そこには未来の世界では得られない満足感が、この世界にあったともとれる。

つまり未来の世界は、白梅二椿菊図が描かれた様な世界が広がっているのではないだろうか。あの絵には宇宙が描かれているという事であったが、つまり我々が住んでいる地球が未来で崩壊しつつあるという意味が含まれているのかもしれない。

現代でも地球温暖化など様々な問題が起きているが、過去に戻ってやり直すのでは無く、今目の前にあるべき問題をどう解決していくのか。そんなメッセージが、白梅二椿菊図には込められているのかもしれない。

 

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