スタジオジブリが2006年に発表した作品「ゲド戦記」は、原作がある作品です。ジブリ版と原作版とでは違いがあり、それによって原作者が激怒してしまったという逸話もあるとか。
この記事では、「ゲド戦記」のジブリ版と原作版の違いについて解説していきます!
【ゲド戦記】ジブリ版あらすじ
あらすじ「起」
引用元 https://www.ghibli.jp/works/ged/#&gid=1&pid=3
世界の均衡が崩れてしまい、その影響によって人間世界のなかで竜が共食いを始めてしまい、その結果災害や犯罪などの悪い出来事が重なっていきました。そんななか、アレンもその影響を受けたひとりで、心身が崩壊してしまい、「影」によって闇に囚われてしまいます。
そして闇落ちしたアレンは国王であり、実の父親である国王の命を奪ってしまいました。正気に返ったアレンは恐怖のあまり、国外へ逃亡してしまいます。
逃亡中に獣に襲われていたところを魔法使いのハイタカによって助けられたことをきっかけに、共に旅をすることになり、共にホートタウンへと向かう事に。
あらすじ「承」
引用元 https://www.ghibli.jp/works/ged/#&gid=1&pid=3
ホートタウンは美しい街でしたが、世界の均衡が崩れた後は、人身売買や精神を狂わせる薬などが横行する、荒んだ町に変わってしまっていました。
アレンは人狩りのウサギに襲われていた、テルーという少女を見かけて彼女を助けたものの、夜にひとりでいたところを発見されてしまい、奴隷として売られそうになってしまいます。
その後ハイタカによって救出された後、彼の幼馴染であるのテナーの家に向かいます。すると、偶然にもウサギに襲われそうになったテルーがいました。彼女は、両親に捨てられた後テナーに引き取られていたのです。
そして、アレンとハイタカは暫くテナーの家で暮らすことになりました。
あらすじ「転」
引用元 https://www.ghibli.jp/works/ged/#&gid=1&pid=3
ある日ハイタカが不在の時を見計らって、ウサギがやってきて来てテルーを誘拐します。そして、テナーに対して「クモ様の城に来るようにとハイタカに伝えろ」と告げます。ウサギは、魔法使い・クモの手下だったのです。
その一方で、アレンもまたクモに誘拐されてしまっていました。その後、テルーから話を聞いたハイタカは救出に向かいますが、クモによって魔力を封じ込められてしまい、城に幽閉されて窮地に立たされてしまいます。。
いっぽう、テルーは単身でクモのいる城に乗り込み、なんとかアレンの元にたどり着きます。そして、クモによってボロボロの状態となったアレンに語り掛けると、心を動かされたのか「闇」に支配された状態から抜け出すことができ、テナーとハイタカを救出すべくクモと対決します。
あらすじ「結」
引用元 https://www.ghibli.jp/works/ged/#&gid=1&pid=3
クモは魔法を駆使してアレン達を仕留めにかかってきます。そして、戦いのさなかでテルーをさらい街を破壊していきます。そんなクモを追いかけるアレンでしたが、なんとテルーがクモによって命を奪われそうになる窮地に。
しかし、テルーはドラゴンに変身してクモを退治します。そもそも、「永遠の命」を欲していたクモが「生」と「死」の世界の扉を開けてしまったことが原因で世界の均衡が崩れてしまったのでした。
世界に平和が音連れた後、アレンは自身の罪を償うため帰国を決意し、テルーとテナーに別れを告げてハイタカとともに旅立つのでした。
【ゲド戦記】原作との違い
原作の主人公はハイタカ
映画ゲド戦記においてアレンの導き手であるハイタカは、彼の真の名である「ゲド」が示すとおり、原作においては主人公です。映画は原作の第3巻「さいはての島へ」を中心に作られておりますが、ハイタカの物語は第1巻「影との戦い」から始まります。少年の頃、ハイタカは恵まれた才能故に、禁じられていた術へと手を出してしまいます。そのことから消えない傷を負ったものの、彼は師の教えに従い、その過ちを自らの糧とするのでした。
アレンとハイタカとの出会い方が違う
原作において、ハイタカとアレンの出会いの場は「学院」と呼ばれる魔法を学ぶための学校です。アレンは、故郷エンラッドの異変を伝え、大賢者の知恵を借りるように、と国王でもある父の命を受けて、ハイタカのもとを訪れたのです。しかし、映画ではアレンが父親である国王を殺害し、自国から逃げ出した道中、偶然ハイタカと出会ったことになっています。
アレンが父親の命を奪うのは、アニメオリジナルの設定
プロデューサーの発案だという「アレンの父親◯し」は映画ゲド戦記の完全オリジナルなエピソードで、原作にはありません。なぜアレンが父親の息の根を止めたのかについて、はっきりとした理由はわかりません。おそらく均衡が崩れ、不安定になった世界の中でアレンに災いの力が影響したのでしょう。冒頭で主人公が衝動的に父親の命を奪うという非常にショッキングなシーンです。
テルーの設定について
テルーの存在は本来映画の元となった「さいはての島へ」では登場しません。第4巻「帰還」より拝借した少女をヒロインの座に据え置いたのでしょう。親から虐待を受け、焼き◯されかけたところをテナーに救われたテルー。映画ゲド戦記では左目から頬にかけて、顔の半分ほどの火傷跡があります。しかし、原作では右半身とより広い範囲で焼け跡が残っています。喉も潰れ、劇中歌のような歌声は披露できないでしょう。
「影」の意味について
原作における「影」は少年期のハイタカが対峙するものであり、それはハイタカの中にある傲慢さや憎しみなどの負の感情であり、心の闇を示すものでした。ただ否定するのでなく、正面から見つめることで、その闇もまた自分の一部であると受け入れることができるのです。
一方、映画ゲド戦記において「影」の役割は全くの正反対でした。クモによって切り離されたアレンの良心や希望といった心の光です。心の闇に支配された体ともう一度一体化するため、追いかけてくる心の光が影となってアレンに付き纏っているのです。
【ゲド戦記】裏設定
ハイタカの顔の傷について
少年期から才能に恵まれていたハイタカは、その傲慢さから学院の級友もであるライバルに自らの優秀さを見せつけようとしました。
死者を呼び出すという禁じられた術を使ったものの、失敗したハイタカは自らの「影」を死者の国から呼び出してしまいます。ハイタカの頬にある痛々しい大きな傷跡は、この時影に襲われてついたもので、一生残るものとなりました。
ハイタカとテナーの出会いについて
ハイタカとテナーが初めて出会ったのはテナーがまだ少女であった頃です。映画ではテナーのセリフでほんの少し触れる程度ですが、彼女は自身の故郷アチュアン島の「名なきもの」を祀る墓所で巫女として暮らしていました。大巫女の生まれ変わりとして、名も奪われ、自由意志もなく、ただ巫女として暗い地下で「名もなきもの」に一生仕え続ける筈だったのです。そんなテナーを救い出したのがハイタカでした。ハイタカと共に墓所を出て、テナーは初めて外の世界を知るのです。