この記事では、映画「ゴジラ-1.0」のネタバレとラストの考察についてまとめていきます・
【ゴジラ-1.0】ネタバレを含むあらすじ
最後の特攻隊員:戦火を生き抜いた一人の物語
1945年、激動の世界大戦IIがクライマックスを迎えた時、神木隆之介が演じる敷島浩一少尉は、天賦の飛行スキルを生かし、特攻隊の一員として敵に立ち向かう運命を辿る。彼の制服に刻まれた「六〇一」のバッジは、彼が名高い第六〇一海軍航空隊の誇り高き一員であることを告げていた。
操縦する零式戦闘機に潜む機械的な弱点を乗り越え、荒波を越えた大戸島への危機一髪の着陸を成し遂げた敷島。故障を特攻任務からの脱出口として主張する彼に、整備班長の橘宗作(青木崇高による演技)は疑念を抱く。
彼らの部隊は、「菊水作戦」として知られる特攻作戦に従事し、1945年の4月から6月にかけての激しい戦いを経験する。しかし、激しい戦闘の中で全機を失い、作戦から離脱し、関東地方の守備に回される羽目になる。
整備困難な零戦の脆弱性に辟易した橘は、愛機を皮肉って「ポンコツ」と称することも。
ある夜、海より現れた異形の深海魚に次いで、島は初期型ゴジラの攻撃に見舞われる。15メートルの巨体を誇る怪獣に対し、橘は敷島に20mm機銃で対抗するよう命じるが、彼は発砲することができず、結果として整備班は破壊される。その後、生き残りの隊員たちの惨状に直面することとなる敷島。
加害者と被害者:複雑な戦後の心象
戦後、焼け野原となった東京に戻った敷島は、太田澄子(安藤サクラが演じる)から痛ましい事実を知らされる。戦場から生きて帰ることを願っていた母親が、爆撃で他界していたのだった。
さらに太田澄子自身も、彼女の三人の子供たちを同じ運命で失っていた。彼女は敷島をはじめとする軍人たちが引き起こした戦争が原因だと非難する。
この時、敷島の姿には、ただの戦争の被害者ではなく、徴兵されたのか、それとも自らの意志で戦いに赴いたのかは定かでないが、都市を焦土に変え、市民に計り知れない苦痛を与えた一人の軍人としての加害者の顔が浮かび上がった。
戦争を生き抜いた多くの人々が、強制された犠牲者でありながら、同時に加害者の一面を持っていたという複雑な実態が、物語の中で深く掘り下げられていた。
終戦後の日本、繊細に映し出される
廃墟となった家々、闇市のざわめき、そこで生きる人々の心の乱れも、主人公・敷島浩一の視点から細やかに綴られます。彼の人生が交差するのは、赤ちゃんの明子を抱える大石典子(浜辺美波)の姿。
典子は戦火で両親を失った孤独な女性です。典子と明子との出会いは、敷島にとって救いとなり、戦争が残した深い心の傷—PTSDやサバイバーズ・ギルト—を癒していくことになる。
明子は、空襲から逃れる際に大石典子が見知らぬ女性から託された赤ちゃん。
生活の厳しさを前に、敷島は典子に、この状況では明子を育てることの難しさを伝えた。
典子は、自らを売ることを暗示するような言葉で反発し、敷島は「時代が時代だから」とその状況を受け入れるしかないと応じていた。
一方で、太田澄子は敷島を責めつつも、貴重な白米を明子に分け与えることで、窮状の中にも新しい希望の芽生えを示しています。
敷島は、二人を養うために、磁気式機雷の撤去作業を手配する復員省からの仕事を引き受けます。典子は危険なこの仕事を辞退するように促しますが、敷島は命が定められた死の仕事ではないと説得。
復員省は昭和天皇に対する訴追を避けるべく動き、元海軍幹部への刑の軽減にも関与していた。
そこで、木で作られた磁気式機雷に反応しない特設掃海艇「新生丸」に乗ることになる敷島。
この船の乗組員である山田裕貴演じる水島四郎、吉岡秀隆演じる野田健治、そして船長の佐々木蔵之介演じる秋津清治との交流を通じて、敷島は新たな人生を歩み始める。
「新生丸」の使命は、海底の機雷を無害化すること。当初は疑問を持っていた敷島も、やがてこの任務に馴染み、得た報酬で家を立て直し、新しい家族としての暮らしを始めた。
彼のPTSDも次第に癒え、典子と明子とともに心の平穏を取り戻していった。
徐々に復興を遂げる街並みと共に物語は進行し、1945年から1947年の変遷が、明子の成長と共に描かれている。
典子が銀座での職を得て自立を目指す様子は、復興途上の日本での一人一人の小さな勝利と再生を象徴していた。
作戦「クロスロード」の影響
連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーはゴジラによって沈められた駆逐艦ランカスターや、大破した潜水艦レッドフィッシュから得られたゴジラの背びれの写真を通じてその存在を認識するが、当時、ソビエト連邦との緊張関係が高まっていたために、軍事行動に出ることはできなかった。そこで、日本にゴジラ対策の自立を促すよう命じられる。
アメリカから一部返還された戦艦や駆逐艦が武装解除されていたため、既に解体されていた日本軍にはゴジラに立ち向かう力がなかった。
シンガポールでの任務を終えた重巡洋艦「高雄」が到着するまでの間、日本は掃海作業で回収した機雷を使って時間稼ぎを試みる。
そして、「新生丸」がその任に指名される。
深海魚が浮上する光景からゴジラの襲来を予感した敷島浩一は、悪夢にうなされていた。
信頼の崩壊:政府の失策と民間の抵抗
ゴジラが品川へと進行し、銀座を破壊するさまは、戦争の傷をまだ癒やせない国民にとって、戦時中にも破壊を逃れた日本劇場を破壊するというゴジラの行動は、ある種の皮肉として受け取られている。
民間人主導の「巨大生物対策会議」では、戦後の心傷を抱える人々が、政府の命令ではなく、自らの意志でゴジラに立ち向かう様子が描かれており、政府への不信感が随所に漂う。
「ただ死ぬための戦いではない。生きる未来のための戦い」
銀座で起きた惨事によって大切な人を失ったと信じた敷島浩一は、野田健治たちの策定した「海神作戦」に代わる新たな策を立てる。
それは、第二次世界大戦末期に開発された局地戦闘機「震電」を使い、ゴジラを特攻する極めて危険な作戦だった。
しかし、「海神作戦」はゴジラがバルーンを破壊したため失敗に終わる。
この危機に、未来を担う若者を守るために参加を見送った水島四郎が救援に駆けつける。
水島を含む民間の船舶が力を合わせてゴジラを海上に引き上げ、その過程でゴジラは深刻なダメージを受けた。
敷島浩一が操る「震電」がゴジラの放射熱線を発する口内に特攻。
ゴジラは爆発で頭部を失い、体内のエネルギーが漏れ出して崩壊する。
その場面に対し、敬意を表して敬礼する市民たちの姿が映し出される。
敷島浩一は特攻を敢行し、戦いを終結させたのである。
彼は橘宗作が用意していたパラシュートで脱出していたのだった。
帰還した敷島は澄子に迎えられ、典子の生存を知り、家族と共に病院へと向かう。
典子は敷島に「戦争は終わったのか」と問いかけ、敷島は涙ながらに答える。
こうして、敷島の内なる戦争も終焉を迎え、彼の心は遂に愛する者たちの元へと帰還したのであった。
【ゴジラ-1.0】感想
映画のクライマックスでは、ゴジラの一部が再生を始めるという衝撃的な展開がありました。死んだと思われた瞬間が、まるで「まだ終わらない」と囁くかのように、画面上での不死の兆しが見え隠れするのです。
このような終わり方は、『シン・ゴジラ』を彷彿とさせるものであり、ホラージャンルにおける定番の手法――恐怖が依然として存在し続けることを示唆する結末です。
敷島ら生存者が未来への歩みを始める一方で、この物語は絶望がそう簡単には払拭されないということを表しているようです。しかし、これは単に「再び東京を襲うかもしれない」という予告ではなく、消えない絶望や持続する負の影響を、より広い視野からのメッセージとして伝えるものに感じられます。
そう、終わり方は「続編が来るかも」という期待を煽るものではなく、むしろ意図的に不穏な雰囲気を残すことで、観客に深い印象を与えることを選んだのかもしれません。